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多胡 伸一朗

TAGO SHINICHIRO
コピーライター

大阪出身。AB型。しし座。
数社の制作会社、デザイン事務所、
メーカーを経て、2017年に独立。
コピーライターであり、夫であり、一児の父親でもある。
芥川賞作家の小説学校、宣伝会議のラジオCM講座など受講。
東京コピーライターズクラブ会員。
書道2段。第一回環境社会検定取得。

[受賞歴]
TCC新人賞、日本BtoB広告賞銀賞、京都広告賞銀賞、
高知新聞広告賞最優秀賞、宣伝会議賞(3回)、
文化放送ラジオCMコンテスト、クリボラ展最優秀賞、
仲畑貴志氏TOTOトイレ川柳優秀賞(2回)、各種ラジオCMコンペなど

[生い立ち]
1976年名古屋生まれ。
生後間もなく大阪へ。

大阪の秘境(ド田舎)と呼ばれる交野で、
野原や田んぼや川を駆けずり回る幼少期を過ごす。
キン消し、ガンプラ、ビックリマン、ミニ四駆など、
ブームには敏感で、一通り乗っかった。

小学校・中学校では、
卒業文集の表紙絵を任される。
中3の時、美術教師に
「美術の道に進みなさい」と言われる。
何かしらの美術の才能が見え隠れしていたようだ。

高校時代、学内の文集に載っていた
クラスメイト(女子)の文章に衝撃を受ける。
視点、構成、内容、言葉選び、表現・・・。
その全てが美しくまぶしい随筆。
才色兼備を絵に描いたような女性であった。
何を食べて、どんな本を読んで、
どんな日曜日を過ごせば
こんなふうに仕上がるねん!?
田舎の中学から都会の高校に出てきた小生は、
無意識にその女子に惹かれ、
ピュアな羨望の眼差しで
彼女をたまに観察(チラ見)した。
今思えば、その時が今の自分の原点なのもしれない。
(すみません、少し脚色しました)

「あいつからバスケをとったら何も残らない」。
そんなことを友人に言われるくらい、
バスケットボール漬けの10代を過ごした。
中学1年でバスケ部に入部。
自分を追うように、週間少年ジャンプで
井上雄彦さんのスラムダンク連載がスタートする。
当時は時代が俺を後押ししていると感じたものだ。
高校では補欠だったが、唯一の見せ場は
北河内スリーポイントシュート大会で優勝したこと。

大学生になると、行動範囲が広がる。
琵琶湖原付一周ツーリング、
四国宿無し一周ドライブを遂行。
知らない土地へ行く楽しさを知った。
若い好奇心はおさまることを知らず、
バックパックを背負って世界を一人旅するようになる。
モロッコ一周旅では、パスポート・財布・
航空券・クレカの全てをすられ、
視界が暗いモノクロになった。(本当にそう見えた)
ベトナム縦断旅では、フライト時間がせまっているのに
空港使用料が足りず追い詰められ、
空港にいた見ず知らずの白人女性に
土下座して工面してもらう。
インドネパール放浪では、
人生10年分を凝縮したような濃い2カ月を過ごす。
新しい価値観、知識、考え方、数多くの出会い、
そして南京虫のかゆみなど、
とにかくいろいろなものをもらって帰国した。
インド放浪の帰りの飛行機内で湧き上がってきた
「達成感」「旅への渇望感」「未来への高揚感」は
それまでの自分にはなかった新しい感覚だった。
「俺はいま生きている」。
目はギラギラし、エネルギーに満ちあふれていた。
あの感覚は今でもはっきり覚えている。

そして大学を卒業。
時代は就職氷河期。
漠然と旅行作家に憧れていたが、
大阪梅田の制作会社に
コピーライターとして就職し、親を安心させる。
その後、いろいろあって
上京することになるのであった。

[エピソード]
◎27歳の時、小説学校で書いた純愛短編小説
「末期の目」で生徒の一人を号泣させたことがある。
◎ヒッピーの3大聖地(ゴア、バンコク、カトマンズ)の
すべてに行ったことがある。
◎カイロ国際空港で、吉村作治先生に会って
一緒に写真をとったことがある。